もうひとつの大普賢岳・・・「大峰」

1994年 9月 23日(金曜日)

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低山徘徊日記
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□今回の山行計画は、もちろん、関西の代表的な山をすずのこさんに見ていただ
 こう・・・そんな主旨であったと思う。でも、そこは、わかたさんの無念の地
 でもある。
 ただ、そのことは誰も口にしない。口にしなくても判っている。

 出発が遅かったので、笙の窟でお昼をすませ、いよいよ、大普賢岳を目指して
歩き始める。でも、その一歩一歩は大普賢岳への一歩ではなく、わかたさんの待
つ場所への一歩なのだ。

 あの日、こまくささんは、この道をヒュッテへ下り、又、柏木から歩き続けて
疲れた身体で、深夜に捜索隊を先導して登って行った。雪の道だった。その道も、
今は歩き易い明るい登山道だ。私達5人は、その道を黙々と登って行く。申訳な
い程に快適な登りだ。
 
 石の鼻を過ぎ、小普賢岳への登りにかかる。近づくにつれて、その場所に着く
のが恐いような気持ちになる。登りきったところに小普賢岳の案内表示。
 
 大普賢岳が眼前に迫る。右手は地獄谷。急な谷になって切れ落ちている。「あ
の沢ですか・・」と尋ねると、「いえ、多分、もうひとつ先の・・・」平熊さん
の緊張した声が返ってくる。
 
 一旦少し下って、いよいよ大普賢岳への登りにかかる。暫く行くと黒く焼け焦
げた焚火の跡。そんなに広い場所ではない。こんな足場の悪いところで・・・わ
かたさんの亡骸を引き上げた平熊さん・こまくささんは、ここで救助隊とと共に
一夜を明かしたのだ。まともに腰をおろすスペースもない。
 
 平熊さんが救助に下りたのは"斜面"というより"崖"。「雪があったので、今の
季節より下り易かった」とはおっしゃるものの、そんなことはない。とてもザイ
ル無しでは下りることは出来ないようなすごいところだ。恐らく、「落ちても、
ピッケルで止める・・・」というくらいの気持ちだったのだろう。もちろん、簡
単に止まるものではない・・・悲壮な覚悟だったと思う。
 
 滑落箇所は、まだ、そこから少し上。東側が切れているとはいえ、夏であれば、
なんの不安もない幅の広い立派な道だ。3〜4メートル下には木も生えていて、
言っても詮無いことだが、滑落箇所が、もう少し、前か後ろであれば・・口惜し
さがつのる。
 
  現場に着くや否や全員が言い合わせたかのように、ザックから線香を取出す。
当然といえば当然だが、皆、気持は同じだったのだ・・・なぜか、ホッとした気
持になる。傍らの大木の根元が自然の小さな祠になっている。蝋燭を立て、線香
に火をつけて手をあわす。そして、振り返って深い谷の底に向かって、もう一度、
手をあわせる。
 
 頂上ピストン後、再び滑落箇所でしばし休息。ポツリポツリと出てくる、わか
たさんの思い出話し・・・それぞれに心の中で彼に語りかける言葉があったのだ
ろう・・・「お彼岸に、5人も揃って来れてよかった・・・」皆、同じだと思う
が、心底、そう思った。蝋燭・線香の火の始末のあと、名残りを惜しみつつ、下
り始める。
 
 笙の窟まで下りてきて休憩していると、雨が降ってくる。雨具をつけ、下り始
める。坂が緩やかになる頃、空も少し明るくなり、片手に傘を持っての「のんび
り歩き」となる。「雨の山道もいいですね〜」というと、何とおっしゃったかは
忘れたが、平熊さんのボソッと呟く声。ああ、そうか・・・この道は平熊さんに
とっては、のんびり歩ける道ではなかったのだなあ・・・気持ちは判っているの
だが、継ぐ言葉が見つからず下る足を早める・・・
 
 和佐又のコルから少し下り、左手の樹木が途切れたところで、5人並んで振り
返って見る大普賢岳。ガスに包まれていた。僅かに日本岳あたりの荒々しい山の
影が墨絵を見るようだ。山に来て、最も充実感のあふれるひとときだ。しばし見
とれる。でも、わかたさんと一緒に歩いていた平熊さん・和佐又ヒュッテで、そ
の一部始終を見届けたPLUTOさんは、もうひとつの大普賢岳を見ておられたのでは
ないだろうか。あの雪の大普賢岳を・・・・
 
 ヒュッテに着く頃、すでに雨は上がっていた。
 
1994年 9月 23日(金曜日) 曇  (メンバー)すずのこさん・平熊さん・ PLUTOさん・杖さん


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