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古川さんの「ポンポン山〜小塩山〜老ノ坂峠縦走」

   古川さんへのお便りは (holiday-in-paris1915@room.ocn.ne.jp) へどうぞ



「ポンポン山〜小塩山〜老ノ坂峠縦走」

とき 2009年12月20日(日)晴れ時々曇り・にわか雪

   北摂の名山ポンポン山には数年前に登りましたが、その時は登頂後釈迦岳から天王 山へ降りましたので、今回は北へ下り、京都方面の河川争奪の現場や金蔵寺、珍しく 小塩山の山頂にある淳和天皇陵へ参拝し、そこからさらに老ノ坂峠へ友人と二人で縦 走する事としました。JR高槻駅発8時47分の上の口行きの市営バスに乗り、終点を8 時55分に出発しました。本来は一つ向こうの神峰山口のバス停が登山口ですが、上の 口まではバスが頻発していることから、そこから歩きました。神峰山寺までは車道を 歩き、寺から先も舗装された林道を登りました。林道には車は余り通らないと思って いましたが、本山寺への参拝の方が結構多く、数台の車とすれ違い、手前の本山寺の 駐車場には何台か停まっていました。駐車場からも整備された林道を登り、10時10分 に本山寺に着きました。地図の表記では建物は一棟だけでしたが、本堂をはじめ鐘楼 など立派な伽藍があり、寒い時期にもかかわらず参拝者も多くありました。ポンポン 山へは寺の裏から尾根の北斜面に沿って登り、しばらくして尾根道と合流し、そこか らは杉ヒノキ林の中、小さいピークは避ける快適な縦走路となりました。道には岩や 石もほとんどなく、私の知っている限り最も快適な縦走路で、10時55分にポンポン山 に着きました。山頂は眺望に恵まれ、大阪や京都方面、さらには北摂・丹波の山々も 良く見えました。

時間が早かったので、早々に山頂を後にし、釈迦岳を往復することとし、最後に急坂 を登って、11時25分に島本町の最高峰である山頂に着きました。ただ、山頂は樹木に 覆われて眺望はありませんでした。山頂からは少し戻って分岐からは東海自然歩道を 北に下り、杉谷へ向かいました。杉谷は上流部には不似合いな幅広い谷で、河川争奪 の現場が見える場所でしたが、既にほ場整備がなされ、谷川もコンクリートで固めら れており、臨場感はありませんでした。そこからは緩やかな谷に沿って下り、小さな 谷中分水界を越えて、金蔵寺に向かいました。途中、分水界の手前に墓石が集められ ている所があり、無縁仏になった墓の墓とも言え、無常を感じました。谷中分水界を 越えると一気に急斜面となり、途中美しい滝も見えました。地形図で見ると金蔵寺の 上の尾根に谷の痕跡が見られ、先程の谷中分水界とほぼ同じ高さであることから、こ の谷が最も早く河川争奪した谷であることが分かりました。急斜面の谷を越えて12時 30分に金蔵寺に到着、ここで昼食にしました。小塩山へは権現堂の横から急斜面を登 り、しばらくすると、河川争奪によって下流部を奪われた無能谷を横に見ながら尾根 筋を進み、途中大原野からの天皇陵道と合しました。ただ、天皇陵道と言っても訪れ る人も少ないのか、道は荒れていました。途中、車道を何度か横切り、13時20分に小 塩山頂の淳和天皇陵に着きました。造営当初は眺望は良かっただろうと思われます が、今は植林のため眺望はありませんでした。山頂からは東に下り、古い地図では立 派な参道と表記された道を下りましたが、こちらも登りと同様、やや荒れた山道でし た。南春日町への道と分かれて、今度は北へ西山団地を目指しました。途中、三角点 も見てやや急な斜面を下って、14時15分に団地の端のグラウンドに着きました。西山 団地は山の上に位置し、こんなところにどんな団地があるのかと思っていましたが、 実際には工場の他は住民がいない家や空き地が多く、人気もなくやや寂れた町でし た。

ここからは老ノ坂峠を目指しましたが、途中の電波施設への道はフェンスで覆われ進 入できず、フェンスに沿って草を掻き分け進みました。電波施設からは一旦戻り、そ こから峠を目指しましたが、これまでと違って道は悪く、辛うじてテープを目印に下 りましたが、一度道を間違え、危うく急な谷へ降りそうになりました。テープを頼り にようやく鞍部まで下り、そこからもやや荒れた道を谷沿いに下って、15時15分に老 ノ坂に着きました。峠は古代からの山陰道の要所で明智光秀も本能寺の変で越えた所 とされ、酒天童子の首塚明神がある上、大木の下で薄暗くおどろおどろしい雰囲気で した。峠への道は舗装された道がありましたが、古い地図では神社の南に直線上に描 かれており、現在の道とは違うところに道があり、清掃工場の造成、整備で古道が分 断され、廃道になっったようでした。峠の説明板で分かったのですが、先程下りてき ました電波施設の山は大枝山と表記されていましたが、オオエ山と読み、丹波の大江 山の本家とのことでした。それにしてはきちんとした登山道もなく、見捨てられたよ うな山で残念でした。峠からは部分的に道が残っている亀岡方面へ下ることとし、途 中で古道からそれて川沿いに進み、16時15分に馬堀駅に着きました。

今回はポンポン山から老ノ坂峠へ縦走しましたが、大枝山から峠へはきちんとした道 がなく、歴史上有名な場所だけにもう少し整備されても良いのではと思いました。

                                古川

[以下、あきゆき記]

ご投稿、有難うございます。

いつも長いコースですね。特に、後半の大枝山のお話。興味深く拝見しました。 低山といえどもちょっとルートを外れると違った新しい世界が広がりますね。昔の私だったら、是非、言ってみたいところです (^_-)

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