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古川さんの「南比良山系縦走」

   古川さんへのお便りは (holiday-in-paris1915@room.ocn.ne.jp) へどうぞ



「南比良山系縦走」

とき 2009年11月29日(日)晴れ→曇り

 11月2日に雨や雪のため断念しました比良山南部の縦走を行いました。事前の天気 予報は悪かったのですが、当日朝は快晴で明けましたし、その後の暖かさで雪もなさ そうでしたので、友人と二人で決行しました。以前比良山に登った折の出町柳発のバ スは満員で立ちっぱなしでしたので、今回は8時20分堅田駅発のバスに乗りました。

9時30分花折峠口に到着、ここは旧道とトンネルの新道の分岐で、ここから旧道を登 り始めました。トンネルは1975年竣工とのことで、それ以前はこの旧道が国道であっ たわけで、バスやトラックも通っていたとは思えない細い静かな道でした。峠の手前 からは花折断層の直線谷の向こうに大原や京都市街が見えました。峠は切通しとなっ ていましたが、大正時代の地図とは微妙に違っていましたので、さらなる旧道がある と考え、切通しの上に登ると、不自然な平坦面が北へ向かって下っており、そこを下 りましたが、自然に戻りつつある道でした。そこから少し下ると、権現山への登り口 に出、そこから今度は東に谷を詰め、谷の最上部は巻き道となり、10時にアラキ峠に 着きました。峠は大正時代には琵琶湖方面と朽木方面を結ぶ道でしたが、ここから琵 琶湖側の道は廃道となったのか、確認できませんでした。

峠からの権現山への登りは、地図では谷を詰めるように道が記されていましたが、実 際は最後まで尾根筋の道でした。傾斜がゆるくなって10時30分に権現山に到着。山頂 は視界が絶好で、琵琶湖をはじめ、丹波山地の山々や伊吹山、鈴鹿山系の山々まで良 く見えました。また、山稜部はこれまでと違い、隆起準平原の名残を示す緩やかな地 形で、その点では花崗岩主体で開析が進んだ北部とはやや印象が違い、大規模なス キー場が立地できた所以かも知れません。ここからは小女郎ケ池を目指しましたが、 途中琵琶湖側が大きく崩壊している箇所があり、通過に緊張しました。

小女郎峠からササの中の掘れた道を少し下って、11時に小女郎ケ池に着きました。池 は周囲を小高い丘に囲まれ、静かな湖面を見せていました。池の名前はいわくありげ でしたが、お孝という名前にちなむと言うことがわかり、やや意外でした。そこから は峠に戻りやや急な登りとなって11時35分蓬莱山に着きました。ここで昼食をとりま したが、季節外れのこともあり、またゴンドラも運行していないことから他に数人の 方がおられただけでした。なお、予想通りスキー場には全く雪はありませんでした。 そこから、スキー場を下り、12時にゴンドラの山頂駅のある打見山に到着しました が、すべての施設は休業していました。

打見山からは南斜面を巻くように下り、ゴンドラの下をくぐって、12時25分にクロト ノハゲに着き、これで昨年の縦走とつながりました。そこからは良く踏まれた道を下 り、13時15分に林道に出、昨年は見つけられなかった右岸の林道を下りましたが、地 図とは違う所に橋があり、分岐していました。林道と言っても車の通った跡もない山 道のような道を下り、14時に志賀駅に着きました。

                                古川

[以下、あきゆき記]

ご投稿、有難うございます。

私は平から、または湖西線の和邇の方から登ったことがありますが、踏み跡不明瞭なコースも多くて、ちょっとした冒険も楽しめますね。尾根に出ると後は楽勝ですが、、、 (^_-)
今回も、懐かしく拝見しました。

『低山徘徊派! (^^)v』及び『ML低徘』へのご意見、ご感想はあきゆき(akiyuki@teihai.com)までお願いします。(黒江彰之)
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