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古川さんの「クノスケ〜三国境〜高旗山縦走」

   古川さんへのお便りは (holiday-in-paris1915@room.ocn.ne.jp) へどうぞ



「クノスケ〜三国境〜高旗山縦走」

とき 2009年2月11日(水・祝)晴れ→曇り



 3年前に笠置から国見山・三ケ岳に登り、また年末に笹ケ岳から高旗山への縦走を断念していますので、今回は国見山の東に谷を挟んで聳えるクノスケに登り、そこから東へ縦走し、三国境、こうもり岩を経て、高旗山へ行くこととし、途中稜線近くにある三日月形の謎めいた池や高旗山ヒュッテの跡地なども見ようと、今回は友人と二人で登りました。

 8時30分にJR大河原駅を出発し、始めは歩道のある国道を東に進み、途中から左へ童仙房へ向う舗装路を進み、神社を過ぎてしばらくしてから、右へ別れ、旧道を入りました。この道は昔はこれから行く野殿へのメイン道路だったのですが、今は廃道となっているようでした。しばらく進むと、谷を渡るところがあり、橋は既になく、コンクリートの橋脚だけが残されていました。このため一旦、谷に下りて、また対岸に登り、そこからはつづら折れの旧道を辿りました。今は辿る人もなさそうで、途中崩壊しているところもあり、早晩自然に戻りそうな道でした。やや急な道を登ると東海自然歩道にも指定されている舗装された林道に出て、あとは林道を野殿に向いました。

 しばらくで、峠に出、少し下ると、祠のある弁天池に着きました。そこから西へクノスケに向いましたが、池のある谷は河川争奪によって無能谷になっており、自然の流れでは争奪によって木津川に流れ込むようになった水を上流でせき止めて、こちらに流していました。林道を登ると茶畑に出、そこから笹の茂った踏み跡を登って10時15分にクノスケに着きました。クノスケは名前のユニークさからか多くの方が登っておられるようで、あちこちに標識が付けられていました。頂上にはアンテナ設備があって、北西方面のみ展望が得られました。クノスケからは元きた道を引き返し、野殿の集落の外れから三国越林道を東へ進みましたが、途中稜線の南面に出ると伊賀上野方面が良く見えました。

 しばらく進むと三国境への登路が左に見え、そこを登り、途中展望台へ立ち寄りましたが、休憩施設も整備され、展望は申し分なく、南の伊賀上野から大和高原まで見渡せました。視界が良ければ曽爾・御杖の山々が見えるとの事でしたが、今日はそこまでは見えませんでした。展望台からは5分ほどで、11時20分に三国塚へ着き、ここで昼食としました。

 塚は三国境に人工的に高まりが作られたようでした。そこからはこうもり岩をめざして県境尾根を東へ進みましたが、道は良く踏まれており、要所にテープもあって迷うことはありませんでした。12時にこうもり岩に着きましたが、樹林に囲まれ展望はありませんでしたし、それらしい岩も見当たりませんでした。そこからさらに東に地図上で稜線のすぐ下に三日月状の池が示されており、地形から見て自然にできたのではないかと思っていましたので人工池かどうか確認するため、さらに県境尾根を東に進みました。

 途中で多羅尾に下りる道を左に見送り、その後も旧道らしい良く踏まれた道を進み、旧道が南へ下る所から分かれ、池に向かって下りました。しばらく下ると水面が見え、池に沿って東へ進むと堤防があり、残念ながら人工池と分かりました。ただ、池の管理のためのアプローチ道は全くなく、今は忘れ去られた池のようでした。池からは北側の斜面を強引に登って、県境尾根に戻りました。そこからの尾根道も下草や雑木が伐られ、歩きやすい道で旧信楽町設置の白い木柱や県境を示す標識などが要所にあり、稜線は右に左に曲がり結構ややこしかったのですが、迷わず進めました。2箇所ほど峠越えの旧道とクロスし、新しい林道に出る手前で笹に覆われ、さらに崩壊した所を慎重に進んで、何とか東の林道に出ることができました。

そこからは御斎峠へ林道を歩き、13時に峠に着きました。ここは家康が本能寺の変後の伊賀越えで通過した所とされ、江戸時代には多羅尾代官所の刑場があったとの事ですが、今は幅広い車道が通り、ゴルフ場への道もあって明るい峠でした。芝生公園からは右へ標識どおりに登って最初は南斜面のトラヴァース、次いで谷を詰めて、南峰との鞍部からは南面の急斜面を直登し、13時20分に高旗山に着きました。

 この登山路は昨年の10月に整備されたとのことで、真新しい階段が設置されていました。頂上はきれいに整備され、360度見事な展望が得られました。そこから東への尾根道を探索しましたが、わずかに踏み跡があったものの笹が密生し、笹が岳への縦走は無理だと改めて思いました。頂上からは元きた道を戻りましたが、途中高旗山ヒュッテの跡地へ行くことにしました。同ヒュッテは昔見た古い地図に掲載されており、こんな所に山小屋があるのかと思っていましたが、ネットで調べると、昭和10年にスケートリンクとして開設され、有名選手も含め多くのスケーターが歩いてこの山の上まで訪れたとのことでした。

昔の地図を頼りにゴルフ場口の手前の鞍部から緩やかな谷を笹を掻き分けて進みましたが、わずかにヒュッテへの道の跡を辿れ、杉の植林の区間では明瞭な道となり、池に到着しました。池の西には二段に整地された場所もありましたが、さすがに建物の残骸は残っていませんでした。また、池も凍っておらず、この点からも温暖化が進んでいることが分かったような気がします。そこからは旧道でもある登山道を下り、15時に麓の西山に下りました。そこからは山麓の道を島ヶ原駅に向かい、途中正月堂へ寄りました。

 ここは東大寺の実忠和尚が開いたとされ、東大寺二月堂のお水取り(修二会)に先駆けて修正会が開かれ、こちらが発祥とされています。幸いにも修正会に当たり、今日11日に餅撒き、12日に韃靼の行が行われるとの事でした。東大寺から離れたばかりにマイナーな存在になったのが残念なお寺でした。ここから南へ進み、16時30分に島ヶ原駅に着きました。

 今回は謎の池やスケートリンク跡を見学できましたが、二人でなければ途中でめげていたかも知れません。単独行は気楽ですが、パーティを組むメリットも大きいと改めて思いました。

                                古川

[以下、あきゆき記]

ご投稿、有難うございます。

 かなりマニアックな山行でする。私もこういうのは好きですが、最近はパワーが出ません (^_-)    私の住む奈良からも近いし、付近はよく通りますが、ほとんど道はなさそうで、やはり行くとすれば冬枯れのこの時期でしょうかね。今回はお二人ということで、同好の氏がおられてよろしいですね。

『低山徘徊派! (^^)v』及び『ML低徘』へのご意見、ご感想はあきゆき(akiyuki@teihai.com)までお願いします。(黒江彰之)
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