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古川さんの「大国見山・高峰山・城山周遊」

   古川さんへのお便りは (holiday-in-paris1915@room.ocn.ne.jp) へどうぞ



「大国見山・高峰山・城山周遊」

とき 2009年2月1日(日)曇り



 これまで天理の東に聳える大国見山へは登ったことがありませんでしたので、ここへ登る事とし、そこから30年ぶりに高峰山と城山へ登ることにしました。

 この内、大国見山から東の稜線は地図に道の記載がなく、不安がありましたが、途中から林道の記載があり、頂上から東への踏み跡を期待して登る事としました。

 8時15分にJR櫟本駅を出発し、古い町並みを見ながら上つ道を南下し、天理教本部を経て9時30分に桃尾の滝へ着きました。この滝は大和高原で最大の滝との事で、滝に祠がありましたが、地元と思われる方々が多く集まり、祭事があるようでした。

 そこからやや急な舗装道を登り、龍福寺跡に着きました。ここは明治の廃仏毀釈で廃寺となり、今は阿弥陀堂跡に大親寺が建立されていますが、寺跡の多くは杉林の中、あちこちに堂坊跡の石垣が残されていました。

 ここからは谷を詰め、その後左側の尾根に取り付き、鞍部からは高瀬川への道を分け、やや急な尾根を登って10時に大国見山に到着しました。冬の低山歩きは余り登山者に出会わないのですが、今回は二人の高齢の方にお会いしました。頂上には祠があり、展望はとくに西側がすばらしく、奈良盆地全体が見渡せ、生駒山地の鞍部の向こうに大阪平野も見えました。

 そこから東へは今日一番の難所と考えていましたが、やや草深いながら踏み跡が続 き、要所にテープもあり、何度かピークを越えて、最後のやや急な尾根を登ると、林 道に出ました。林道は始めは草深く、倒木に遮られるなど余り利用されていないよう で、途中には路肩が崩壊しているところもあり、早晩通行できなくなりそうな道でし たが、途中からは舗装され、しばらく進むと工場予定地のような広大な空き地に出、 そこから左へ折れて桜峠に着きました。

 峠からは一旦北へ向かってその後、福住から高峰山へ向う林道を辿り、頂上の南側を巻いていると、電波施設への道を見ましたが、以前、米谷から登った際は、西側からの登路しかなかったので、頂上の西に出ました。しかし、ここから頂上への道が全くなく、結局頂上北側まで巻いてそこから藪や倒木をかきわけて、11時20分に頂上に着きました。30年前は植林の中、全く展望はなく、測量のための木製の櫓が立っていましたが、今日訪れると、電波施設が建ち、南西側の展望が開け、奈良盆地南部が良く見えました。

 これで、先程の電波施設への道が登路であったことが分かり、下山は南東へその道を下り、もう一度林道へ出て、西へ向いました。ここから米谷への下山路は良く踏まれたハイキングコース状態となり、やや急な道をしばらく下ると、名阪国道が見え、高峰SAの横から国道をくぐって米谷集落へ出ました。

 米谷からは舗装された道を中畑町を経て再び名阪国道をくぐり、城山の東を南北に走る新しい道を北上して、通行止めの表示の手前で左へ舗装された山道を進みました。しばらくして城山の南面を巻くようになり、そこから地図どおり山へ向う道が右へ分かれていましたので、ここを入り、途中から踏み跡を右へ辿って13時に頂上に着きました。

 頂上には朽ちかけた鳥居と祠があり、その裏の小高いところに三角点がありましたが、そこからは北西方面が良く見えました。城山からは登ってきた道を引き返し、先程の林道へ出てそれを下り、北椿尾を経て窪之庄へ下りました。

 時間がありましたので、ここからまだ訪れたことがなかった稗田の環濠集落を見学することとし、広大寺池の南端を西に向い、15時30分に稗田に着きました。環濠は見学者がほぼ一周できるようにきれいに整備されていました。稗田阿礼ゆかりの売太神社に参拝後、環濠の北側を半周して、16時にJR郡山駅に着きました。

                                古川


[以下、あきゆき記]

ご投稿、有難うございます。

沢山歩かれましたね。私も丁度、この土曜日に大国見に行って来ました。大国見だけです (^_-) 
高峰山は30年ぶりとかで随分と変わっていたでしょうね。私は名阪国道近くから2度ほど登ったことがありますが、古川さんのルートとは大分違うんでしょうね。私の記憶も怪しいので定かではありませんが、、、単発ですと小一時間の歩きですから、また、行ってみたくなりました。

『低山徘徊派! (^^)v』及び『ML低徘』へのご意見、ご感想はあきゆき(akiyuki@teihai.com)までお願いします。(黒江彰之)
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