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いのうえひろふみさんの「太平記の笠置山」 いのうえひろふみさんへのお便りは (inoue@cc.osaka-kyoiku.ac.jp) へどうぞ


 冬至の翌日、天皇誕生日に山城国の笠置山に登ってきました。仕事の合間に読んで
いた太平記の巻の三に、笠置山に後醍醐天皇が御幸して立て籠もって六波羅軍と合戦
し、闘い破れ、逃れ出て近隣にて捉えられた状が書かれていました。河内国の赤坂城
には楠兵衛正成が立て籠もっていた時です。この地に立って静かに想うとき、木津川
の流れを押し渡って戦う騎馬武者たちの姿、笠置山の斜面での矢戦、崖を這い登って
の六波羅軍の一手の奇襲など、鎌倉時代の末のことが絵巻のように脳裏をよぎりまし
た。
 頂上の後醍醐天皇行在所の碑に、天皇の御歌が刻まれていた。
○うかりける身を秋風にさそはれて思はぬ山の紅葉をぞ見る


太平記の笠置山 1999.12.23(水) 天陰る

枚方市香里ヶ丘出発(10;50) 近くだとの安心感でいつまでもぐずぐずとして
いるうちに出発が遅くなる。女房と二人。マイカー登山。R307、R24、R16
3を走って笠置町に至る。途中でコンビニに寄って弁当と飲み物を買う。R24との
交差点でR307をまっすぐ行ってしまい宇治田原で間違いに気付いて引き返す。鷲
峰山とごっちゃになっていたのだと思う。笠置町の手前の道路標識に「人家!狭し、
注意徐行」と大きく書いてある。なんだか笠置町の人の家が小さくて貧乏くさいので
注意せよとの意味にとれる。変な標識だ。


かさぎ橋と笠置山
ドライブイン大扇に駐車(12;40) 一端、かさぎ橋を渡って笠置町の街を抜け て登山口を探して、奈良県との県境、柳生まで行ってみた。市街はなんと狭いこと か。離合に苦労する。駐車場が見当たらないので、また下ってかさぎ橋の下の河川敷 にあるモータープールに行ったが休み。仕方がないのでR163沿いのドライブイン の駐車場を借りる。帰りに買い物をすることで許してもらうことにした。ごめんなさ い。水洗のWCあり。今日は小さなリュックを背負う。交通量の激しい国道を木津川 沿いに歩いていく。対岸の川原は枯れすすきが広がっている。かさぎ橋を渡る。歩い て渡ると車で通りすぎるのとではやっぱり違いがある。これから登る笠置山をじっく り眺める。椀を伏せたようにこんもりとしている。大石がところどころに露呈する。 木津川の川面で時折に銀色に光る。魚が群れているのが見える。この辺りはカヌーの 盛んな所だが、今日は一艘も浮かんでいない。福引きをする商店街を抜けて笠置山登 山口。派手な看板が目を引く。

笠置山登山口
笠置山登山口(13;10)。「史蹟及名勝笠置山」の石柱が立っている。左に舗装 道の車道、右に古登山道が岐れる。50本ばかりの竹の杖の無料貸し出しがある。右 を上る。東海自然歩道の標があった。地元の年輩の男性が、イマデッカと声をかけて くれた。話しによると夏は週に2回、冬は1回はかならず登るとのこと。しばらく舗 装された小道を行く。笠置の町並みが見下ろせるようになると、石ころ道にかわる。 斜面に「急傾斜地崩壊危険区域」との標柱がのぞく。いにし日に六波羅の寄手もここ を這い登っていったのだろう。足下には黄色と紫のかえでの落ち葉が折り敷いてい る。しばらく上ると一軒の古屋と朽ちた木の祠があった。赤い実の南天の木に囲まれ た閑かな佇まい。幅の広い道であるが、しだいに険しくなってくる。また階段状の道 になると車道と交わる。一の木戸跡である(13;35)。ここを守っていた弓の名 人である三河国の足助次郎重範が六波羅軍の将を射た所である。雉や猪の鍋料理の店 がある。忠臣の碑を少し過ぎるとまた車道から分かれて小径を行く。大石の傍らの石 の仏様を拝すると、車道の終点に至る。猿のこしかけ(霊芝)の生えた立木の前の車 道を横切って笠置山寺の門前に着く。石段の落ち葉を数人でかき集めていた。たいへ んな量である。 笠置山寺(13;45)。寺門の前に「天武天皇勅願所、後醍醐天皇行在所」との標 があった。お寺の縁起を記した碑をゆっくり読んで一休み。閑かな境内だ。大きな石 の香炉、国宝の解脱鐘を見る。さざんかの赤色が際だっている。奥まったところに修 行場への拝観受付がある。不在とかでテープの声で、「ヨーコソ オマイリクダサイ マシタ」と挨拶。一人300円を箱の中に納めて通り抜ける。WCあり。森閑として 修行場の雰囲気が漂う。椿本護王宮の下に「笠やん」の碑があった。かつて参詣者に 可愛がられた猫とのこと。「愛し猫よひと声なりと雪笠置」の句あり。巨大な岩があ るなあと歩んでいくと、正月堂の前に磨崖仏が聳える。圧倒する大きさである。三度 の火災で黒ずんだところがある。正月堂の下を抜ける。この柱も焼け焦がれたと思え る跡と矢じりの跡らしきものがある。虫食いじゃないと興を醒ます同行者の冷静な一 言。薄暗い巨石の下を抜けるやまた磨崖仏がある。太い線で弥勒上生の図が刻まれて いる。すこし引き下がって見上げないと全体は拝せない。ところどころ紫の岩ごけに 覆われていて尊く彩色されているようだ。   胎内くぐり、太鼓石、平等石など巨石を見物しながら、樹間を上ったり下ったり する。ゆるぎ石とて、崖を登ってくる敵めがけて落とすために用意された大石があっ た。しかし、ここを奇襲され不意をつかれたところである。 

磨崖仏(弥勒上生の図)
蟻の戸渡り(14;15ー14;45)。巨石の上によじ登り昼食。俵弁当、みそ 汁、コーヒー。木津川と国道、集落が松の枝ごしに見通せる。下流方向、上流方向を ゆっくりと眺める。風は凪いでいる。川を隔てて三ヶ岳が日に照らされている。石の 上から下りるのが難しかった。無恰好にずり落ちた。 笠置山頂上(14;50 324m)。また少し登ると二の丸を経て頂上。後醍醐天 皇の行在所跡である。立派な石の柱で厳めしく囲まれているが、後方はとぎれてい る。門の前の碑を読んでいると、突然に左後方でからからからと高笑いの声がした。 びくりと振り返っても誰もいない。大天狗の仕業かと、不埒な言動を繰り返しながら 登ってきた我々は驚懼した。観察すると大木が風できしむ音らしい。安堵。石の長い 階段を下る。宝蔵坊跡まで下り、登り返してまた下る。修行場入り口に戻ってきた。 鐘堂の前で落ち葉焚きしている煙が元弘年間の戦乱の煙に見える。その傍らで遊ぶ子 どもたちの歓声をいくさのときの声に聞きなして山門を去る。門の前のびわの木に散 り残る花の白さに冬の寒さを知る。つづら折りの舗装道をひたすら下って登山口(1 5;25)に至る。車道は登山道よりも距離が長い。中腹には料理旅館が数軒。  市街を抜けて、かさぎ橋で笠置山を振り返ってじっくり眺める。もはや日は陰って いる。ドライブインであたご柿を購入。たこ焼き6個(300円)を川を見ながら食 す。焼きたてでおいしいが、とにかく熱い。大きなたこ焼きだから口から出すことも できずに七転八倒の苦しみ。

木津川
枚方市香里ヶ丘到着(17;15)。R163を帰る。さしたる渋滞もなく家に着 く。鎌倉時代の末、南北朝の初めの歴史の地である笠置山を歩くことがかなったひと ひ。帰路に見た木津川の川面に照る夕日の美しさよ。太平記によるとこの川が血の色 に染まって流れたという。板東武者の蹄の音をかすかに聞く想いがした。 いのうえひろふみ ------------------------------------------------------------------------------ (あきゆき)
『低山徘徊派! (^^)v』及び『ML低徘』へのご意見、ご感想はあきゆき(akiyuki@teihai.com)までお願いします。(黒江彰之)
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